うさこのーと

僕の怠惰さとうさこの話です

日々と彫刻

2018.3.24

まもなく三月が終わる。
僕は四月を待ち遠しく思っている。
というのも四月から新しい仕事が始まるからだ。
それに伴い住む家も引っ越す。
街のスーパーの裏手、細い上り坂を上った先の元集落に新しい共同住宅がある。
徐々に荷物を移している段階だ。
壁に時計をかけ、軽い木の板を張り付け、観葉植物をそこに吊るす。
新しいカーテンと、リサイクルショップで買った机を運び入れる。
ガスコンロのゴム管を取り付け、フライパンや鍋を台所の下の扉に入れる。
脱衣所がなかったので、風呂場の半分をシャワーカーテンで仕切り脱衣所にする。
うさことの同棲生活がとりあえずのところ一旦終わる。
今度は同棲じゃない代わりに徒歩圏内のご近所さんだ。
新しい土地、新しい職場と新しい生活。
春。
うさこはやっぱり同棲したいと言っている。
いつでもまた同棲できるように、部屋を綺麗にしておくことにした。
最近皮膚が妙に過敏だから、それもあって尚更部屋は綺麗にしとかなければならない。
これまでは僕がうさこの家に転がり込む形だった。
今度は逆だ。

春だ。

僕はといえば、順調に欲を育てつつある。
昔より自覚的に欲を追うようになった。
美味しいものを食べたい、作りたい、同期に勝ちたい、人に一目置かれたい。
差を付けたい。
勝ちたい。
注目されたい。
もとより競争心の強い方だったのだと思う。
学校、大学、そして社会で学んだのは欲望に忠実になることだ。
その欲がどうすれば叶うのか、筋道が見えるようになった。
大切なのは、自分の能力の使い方を知ることだ。
そして必要なのは実行することだ。
机上の空論ではなく、モニタの上の夢想ではなく、
空白を、手で触れ体温を感じ取り得る実物で満たすことだ。

何かが欲しいわけじゃない / 欲しいものだらけだ。
したいのは能力の発露だ。
力を振るうのは気持ちの良いことだ。
ほんとは何だっていいのかもしれない。
ボールを思いきり投げるのは楽しい。
海に飛び込んで泳ぐのは気持ちよい。
ケーキをつくる。
小説を書く。
うさこの誕生日にはカボチャのチーズケーキを作った。
喜んでくれた。僕たちは他者を鏡にして自らを映し出す。
僕たちは虚像だ。
僕たちは、大したことのないものだ。
主体は世界に属しておらず、僕たちの頭はこの空よりも広い。
でも、久々に会う友人と話をして心が昂ったりする。
そんなときには、この心のあり様をなにか文字でも絵でもいいから形にしたくなる。
大したことのない僕たちのその内側から、なにか書き留めて形にしたいほどのものが出てくるのは実に感動的なことだ。

僕は書き留める。
文字か、あるいは文字でなくとも僕たちの在り様によって、
僕たちの毎日に、
僕たちの、嬉しかったり悲しかったりの感情を、
綺麗だとか、美しいだとかいった美意識を、
刻みつける。